倉敷・総社 地名伝説

倉敷・総社の地名の謎に迫ります。あなたは知っていましたか?


第四番 藤戸 〜ふじと〜

 藤戸町は美観地区から南東部に位置し、倉敷川によって藤戸町藤戸と藤戸町天城に分けられています。

 児島が本土と切り離れていたころ、児島の半島部の北には天城島(あまきしま)などの小島がありました。その児島と天城の間が狭く、潮流が速く波立つさまが 藤の花のようで、藤の門(ふじのと)と呼ばれるようになり、のちに藤門、藤戸へと変化したといわれています。ト(戸、門)は、海峡を意味します。

 盛綱橋は藤戸地区と、対岸の天城地区を繋ぐ橋です。以前は藤戸橋と呼ばれていましたが、いつの間にか、綱盛橋といわれるようになりました。

 現在の藤戸町がある場所は、かつて島が点在する海でした。そして、その地は源平の戦いが繰り広げられた古戦場。平家物語によると、源氏軍はなんとかその海の向こうの平家に奇襲をかけようと企んでいたそうです。その、源平藤戸合戦の先陣であり、鎌倉初期の守護である佐々木綱盛の銅像は、橋の北寄り(天城寄り)にあります。

 ちなみに「藤戸」とは、平安時代から記録のある地名だと伝えられています。



★福茶葉(Classsメイト)
倉敷市在住9年目。旦那様と3人のチルドレンとMr.Childrenをこよなく愛するチルオタ。
「くらしき」という雅趣に富んだ響きに感銘を受ける。座右の銘は「人生バラ色」。

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